喫茶去(きっさこ)

日々の暮らしで感じた事

来年の手帳

を購入した。

2020年とキリが良いせいか今年の手帳選びにはちょっと力が入った。


とは言え今年と同じほぼ日のweekly。



コレをカスタマイズするという事を今日はチマチマとやっていた。



この一目見て気に入ったKITTAファイルにほぼ日のweeklyを装着。


ファイルには勿論KITTAを収納。



スケジュールシールを各種購入し準備万端!


各月にインデックスを貼り埋まっている予定や家族やワンズの誕生日にシールを貼る。


なんという充実感!


何もなし得ていないけれども!


形からまず入る私にはこのチマチマした作業が充実というか楽しみというか、なんだろうか、ちょっとだけ来年の自分がきちんと生活出来そうなそんな感じで幸せな気分になれるのである。

心躍る

クリスマスツリーが会社の入っているビルのエントランスに登場。


もうそんな季節なんだと思いながらビル管理の方の心遣いに感謝。


しかし日本人は、ハロウィン、クリスマス、お正月、バレンタイン、ホワイトデーなどなど行事が多くて幸せな国だ。


クリスマスはイエスキリストの生誕祭だけれど、すでに子供の頃からサンタさんにクリスマスプレゼントを貰う日と定義していたように思う。


もう物欲の塊のような日である。


子供たちが幼い頃はプレゼントを細心の注意で買いそれを隠し子供たちが寝ている枕もとにプレゼントを置くという行為をしたものだ。


時にはクッキーとミルクをテーブルの上に子供たちと用意し、夜中にムシャムシャとそれを喰らい翌朝「サンタさん、クッキー食べてくれたねー」と喜ぶ子供たちに「本当だねー(わしの腹の中だがな)」等と言い子供たちのドリームを守ってきた。


そんな事も遠い昔の事である。


私の幼い頃の思い出はカトリック系の幼稚園だったためシスターに連れられてクラス毎に教会の中の階段を登った屋根裏部屋の様な所に連れられて神様のお話を聞くという謎の行事とクリスマスにはケーキが振る舞われる事、選ばれた園児が蝋燭に火を灯す事ができるというこれまた謎の行事が強烈なイメージとして残っている。



とは言え、本当のクリスマスというかキリストの生誕を祝ったのはこの幼稚園時代だったかも知れない。


毎晩思いつく限りの欲望を叶えよ神よとお祈りもしていた。


なんと自己主張の強い欲深い幼女だったのだろうか。

赤面ものだ。



クリスマス🎄

今年は何をしているのだろうか。

やっと

55歳の誕生日にと購入したiPhoneケースが届いた。




カスタマイズしたので手元に届くまで1ヶ月位かかった。


毎日使うものだからお気に入りの良いものが欲しかったから。


今まで使っていたケースも手帳型だったけれどフラップ部分の磁石が取れてしまったのだ。

丁度良い機会だった。




これで明日からも頑張るぞー!